インビクタス~負けざる者たち~
このところクリント・イーストウッド作品は、欠かさず映画館で見ていて
全くはずれがないので、インビクタスも終わらないうちに!とすべりこみしてきました。
全く予想通りの展開でしたが、途中からうるうる。。。(T_T)
充実した余韻に包まれて帰路につきました。
だってダークな部分が全然ないんだもの。
この映画では、悪人が出てこないので、
「差別」の描き方も個人個人が抱いてるはっきりとした感情ではなく、
社会の関係性の中で生まれる形のないもののような印象を受けました。
決勝戦の前に、歌いながら周りを気にする観客のシーンは
それがよく表れているような気がしました。
いじめられっこになりたくないから、いじめる側になるというあれですね。
チームの描写
チームが結束されていく様子が具体的にはなかったので、
少し物足りないような気はしたが、
それをやると単なるスポ根お涙ちょうだいものになって、
大事な部分がかすんでしまうと思うので、
これはこれでよかったのだと思う。
微妙に一人黒人のチェスカーが気になって、
子供たちに教えるシーンも、最初チェスカーだけ大人気で、
他の白人が気を悪くしないのかしらとか気になったり、
チェスカーは、あのチームに黒人一人入るのって大変だよなぁ。
苦労したんだろうなぁと勝手に思いをはせたり。
歌の練習をしようとして、メンバーがやってらんねーよと切れるシーンでは、
チェスカーが訳してくれるのかなぁと思いきや、そういった描写もなかったっすね。
最終的には歌えてたみたいだけど。
嫁が・・・
ものすごくどうでもいいことが気になったのですが、
キャプテンの家族の描写が結構ありましたが、
なんかあのお嫁さん同居してるのに、すごい態度でかい・・・。
もしかしてマスオさん?と思ったのですが、どうもそうでもないらしい。
色気がありすぎて、ちょびっと浮いてたような??!
そういう映画じゃないから!
なんかサスペンス的な映画に毒されてるのか
飛行機が突っ込んでくるとこや、男の子が袋をガサゴソやってるとこや、
最後のルートを変えようとしてるとことかで、
必要以上に、暗殺者が!!と思ってしまう自分が悲しかったっす。
そういう映画じゃないから!(><)
帰ってきてから、色々調べていたら、インビクタスのおもしろい記事をいくつか見つけたので、それも載せておきます。
★映画「インビクタス」:王道スポーツドラマであり、ネルソン・マンデラの成功プロジェクトの話
この映画は、いくつかの見方ができると思う。
1.弱かったチームが、自らの使命に目覚め猛然と勝ち進む、王道のスポーツドラマとして
2.分断されていた南アフリカの「融和」、新たな「建国」の物語として
3.不屈の男ネルソン・マンデラのクレド(信条)の物語として
4.プラグマティスト(by 竹田さん)であるマンデラの、国家再建のための旗艦プロジェクトの話として経営者やリーダーは、特に4番めに注目して観てみるといい。劇中マンデラが言う「(白人でも黒人でも)どんなレンガでも使えるものは使え」という台詞の意味は重いと思った。
自分的には、1風味は薄くて234が程よく混ざった感じに思えました。
キャプテンは、マンデラの信条を知ることで同志になりえて、
自分がレンガであることをわかってて、そのプロジェクトにあまんじて身を投じたようにも見えました。
「変わる」ためには、なにかのきっかけが必要なのだと。
モーガン・フリーマンが振り返る「インビクタス」完成までの道のり
【特別対談】芝山幹郎×サトウムツオ その1、その2、その3、その4、その5
この対談、うなづけるとこが多くておもしろかったっす!
最初に、整備されたグラウンドでラグビーの練習をしているところが出てきたあと、道を一本隔てたところの空き地で黒人の子供たちがサッカーに興じているというところが映し出される。そこをワンシーンで見せてしまうんですよね。
ムツオ:左パンひとつだけですよね。
芝山:映像を切っていないんです。そして、間の道を通る車が、ちゃんと1990年頃のちょっとボロい車なんですね。そうすると、南アの経済状況や政治状況もわかるんです。マンデラが牢屋から解放されたときの南アの状況を、無駄なくワンショットで見せていますよね。
イーストウッド作品全体に言えると思うのですが、
言葉の説明が少ない割に、見せ方がうまいので、
一瞬で理解できることが多いです。
あとから思い返すと、すげーなと思う。
──イタリア系だからかどうかわかりませんが、スコセッシもデ・パルマも映画の中である種の山場を無理矢理に作ってしまうんですけど、イーストウッドは、そういう山場を作らずにストーリーを進めますよね。
芝山:さっきも言ったけど、やっぱりイーストウッドは「映画の風」をすごく信じていて、映画には放っておいても山場が来るということを知っているんじゃないかな。だけど、スコセッシは山場を作らなきゃいけないと思っているんです。そういう意味でも、イーストウッドはすごく勘のいい人なんだと思いますね。ひらめきがあるというか。
ムツオ:渡辺謙さんから、硫黄島に少しだけ行ったときの話を聞いたんですが、イーストウッドは光を見て海岸線を走り回っていたそうなんです。ここはこう撮って、ああ撮ってみたいなことがパッパッと浮かんで来るみたいなんです。
今回も確かに山場という山場はなかったのですが、(あえていえば決勝戦の長丁場?)
なんとなく盛り上がってるように感じる。
ひらめきの人なんですねぇ。
芝山:たとえば、セキュリティの人たちが中庭でラグビーを始めるところとか、警官とその辺の小僧が一緒になってラジオに耳を傾けるところとか、そういった場面は全部ありきたりなんです。ただ、ありきたりであるにもかかわらず説得力があるというのは、やはりイーストウッド自身が「マスター・オブ・ザ・ハート」であることの証明だったのではないかと思うんです。
ムツオ:本当に上手い。
確かに下手な人が撮るといやみな感じになるけど、すごく自然な気はする。
ムツオ:それにしてもイーストウッド映画って、なんでこんなに深い余韻があるんでしょうか?
芝山:余韻がありますよね。ワインでいうと、フィニッシュが長いんですよね。グラスを置いた後、香りが延々とあたりに漂っているわけでしょう。まず、イーストウッドという人間の器の大きさということが理由のひとつでしょうね。小さい人間だったら、あんなに余韻は残りません。いわゆる“馥郁たる香気”という感じではなくて、もっとじわーっと沁みるんですよね。歌の文句じゃないけど、「The moon descended, but the melody lingers on」という感じで、月が沈んだ後もメロディが漂っている感じなんですよね。いわゆる感傷的な人ではないんだけど、エモーションがとても深いんです。
ムツオ:他の映画作家よりも明らかにエモーションが深くて長いですよね。
確かに今まで見たやつ全部深い余韻がありますね~
心地のいい余韻。だから新しいのが出るとまた見たくなっちゃうんだよなぁ
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