朝日新聞の記事「ツイッターの力学に異論続々」に異論続々

私もかなり違和感を感じたんですが、
これインタビューの返答自体が相当はしょって書いてそうで、
ほんとに言いたいことが伝わってないような気もします。
だから叩かれてるんだと思う。

asahi.com(朝日新聞社):ツイッターの力学に異論続々 – 文化トピックス – 文化

Togetter – 「ツイッター批判記事を書いた朝日・藤生京子記者がアカウントを削除して逃亡するまで」

なんか興味深かった知恵袋記事。

斎藤環氏が今週の週刊ポストで、twitterのRTの事を「情報量0のコミュニケーション… – Yahoo!知恵袋

斎藤環氏が今週の週刊ポストで、twitterのRTの事を「情報量0のコミュニケーションで、サルのグルーミングと同じ」と批判していますが、その気になればgoogleで答えが判る事をワザワザ質問している知恵袋も同じ様に
「サルのグルーミング」という事になってしまいませんか? 携帯電話のショートメールも、SNSでのつぶやきも、情報量としては極めて小さく、決して情報の利用法としては最適化されていないので、サルの挨拶程度の意味しかありません。

しかし、そういう行為を通じて「集合知」もしくは「集合痴」を作り上げようとするのは、人間の本能が行わせている行為であって、行為そのものに意味を見出そうとする立場を私は「退化」や「未熟」と言って斬って捨てようとは思いません。

こういう「無駄な情報のやりとり」は、いわば社会の潤滑油であって、斎藤氏などに批判されているのは、「潤滑油だけでは社会は動かない」という事だと思います。

さて、知恵袋の回答者の皆様、誰かの質問に答えるために、代わりにググって答えを探す行為を、不毛だと思いますか? それとも有意義なボランティアだと思いますか?

他人の質問に興味をもって自ら調べる行為は実に有意義なことです。

それを人に教えてあげる際、「いかに判り易くまとめるか」は親切ついでの脳トレ(知識の整理)です。

ボランティアかどうかは判りませんが、取り組み如何によっては非常に有益な行為だと思います。

只、RTは脊髄反射的な行動だけども、
知恵袋は知りたいという意志を持って行動してるので、
若干意味合いが違うような・・・。
ただアンサーの内容は、自分的にはなんだか勇気づけられました。
ググッても明快な答えがでなかったりすることなんて、世の中には結構あると思うんだけどなぁ~。
自分的には、それを万人にわかりやすくまとめることに喜びを感じる時があります(趣味)