[映画レビュー番外編]大人のためのジブリトリビア『火垂るの墓』編
先週の土曜日にやってたコクリコ坂の特番、ゆるゆるな芸能人の横浜ツアーの合間に、
鈴木Pが今までの作品の企画意図をオブラートなしで、ばしばし言いまくるちょっと濃ゆい番組でしたw
もしかして有名なこともあるかもしれませんが、自分がへ~と思ったものだけ集めてみました。
『火垂るの墓』は現代の若者が「昭和20年」にタイムスリップした姿を描いたものだった
「清太はいいとこの子なんです。何かやるときにためらいの生まれる子」
火垂るの墓は、戦争中に「がまんのきかない」現代の若者をタイムスリップさせたらどうなるか?
という裏設定があったらしい。高畑監督のアイデアだそうです。
これはかなり衝撃でした。確かに清太は、かたくな過ぎるなという印象はありましたが。
「現代」といっても、当時はバブルまっただ中なので、
ガマンすることはカッコ悪いと自由を謳歌する若者をイメージしてたらしい。
色々調べてたら興味深い文章を見つけました。
http://www.yk.rim.or.jp/~rst/rabo/takahata/ponpoko_ron.html
高畑監督は、同作品制作の意図として、地域共同性が解体し、皆が個人主義に浸る現代でこそ、この作品を評価しなければならないと再三語っていた。(記者会見用資料/映画パンフレット/「月刊アニメージュ・八七年六月号」ほか)高畑監督は、戦中にあって軍国主義に染まり切れず、従って地縁・血縁の協力も得られず、不器用だが正直に生きて必然的に死んでいくという、この作品の主人公たちこそ、個人文化に浸る現代の青少年たちの生き写しだと捉えた。原作が発表された上昇指向の高度経済成長時期には、こうした個人の孤立の悲惨や共同性の解体という問題の大きさを、広く一般が認めることは出来なかった。高畑監督は、混沌と混乱に差しかかる現代の社会環境と政治情勢の下でこそ、この作品の真価が発揮出来ると考えたのである。
それは、戦争の運命の悲惨などを抽象的に訴える姿勢では断じてなく、あくまで現在を生きる観客に「あなたは、この物語で死んだ子供たちに見護られて生きているのですよ」「物語を生まないためには、今の世の中をどう生きていくべきでしょうか」という実践的問題意識を触発する、一種サブリミナル的効果を意図していたと言えるのではないか。当時の講演で、高畑監督は「反戦のメッセージを伝えようとしてこの作品を作ったわけではない」と明言している。(東京自治問題研究所発行「東京/vol6」)その意図に照らして、かかるラストシーンの創作は不可欠であったのである。
そんな意図にぴったりあったレビューを見つけました。
清太が何故、節子と生き延びることが出来なかったのか。それはまさにモラトリアムから脱却することが出来なかったからです。戦争という一大脅威によって保護を失ったことや、現実というのがいかな仕組みで成り立っているのか。そこに気付くために、節子を失わなければならなかった
『火垂るの墓』を悲劇たらしめているのは、戦争によって脅威を受けることだけではなく、戦争によって守られなくなった若者が現実に気付かず命を失ってしまったこと、なのです。
確かに普通の物語だったら、見返りがなくても助けてくれる優しい大人の存在があるけど、(魔女宅でいうオソノさんのような)
この映画には全くそういう人が存在しないんですよね。
こちらも考えさせるレビューでした。
★びんぼう削り: 映画『火垂るの墓』しっかり観ました<旧>
高畑監督の意図とは別のところで、
「日本の反戦映画の名作」という代名詞が一人歩きしまっているような感じですかね。
パンフレットに原作の野坂昭如の感想が描かれてるらしいんですが、
それも機会があったら読んでみたいです。
次回見るときはこんな感じのことを頭に置いてじっくり見てみたい。
火垂るの墓 海外レビュー色々
はてブの数が多い海外のレビューを取り扱ったエントリーを集めました。
どっちかというと低評価の方が正しく作品を理解してると言えてるのかな。
★『火垂るの墓』に対する最も参考になる米Amazonレビュー – A Successful Failure
米アマゾンでのレビューをいくつか和訳したもの
★『火垂るの墓』に対するロジャー・エバートのレビュー – A Successful Failure
ロジャー・エバートはアメリカの映画評論家です。
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