トキワ荘とつげ義春
昨日の夜中にやっていたNHK「スタジオパークでこんにちわ」のアンコール再放送を録画したものを見てました。
藤子不二雄Aと赤塚不二夫のトキワ荘の話が興味深かったです。
wikiでトキワ荘のページを見ると、「実際に居住したことのある漫画家や著名人」の欄に、
つげ義春がいて、えぇぇ~と思ったのですが、どうもこれはガセのようです。
トキワ荘に住んでいた手塚治虫に会いに行って、漫画家になる決心を固めたという話と
赤塚不二夫と親交があって、トキワ荘を何度か訪問したことはあったようですが、
他の漫画家と親しくなったということもなかったようです。
以下、あくまでも引用の憶測となりますのでご了承ください。
当時のつげ義春は江東区の小さなメッキ工場で働きながら、
昭和30年の正月明けから本格的に自作漫画の売り込みを開始します。
(「トキワ荘の時代」梶井純・著より)そして、職場・住まいの近所にある江戸川区小松川の、
化学薬品工場で働きながら漫画を描く、
同じ様な境遇の少年と出会います。その少年こそが、赤塚藤雄。
後年のギャグ漫画の王様・赤塚不二夫その人でした。「つげ義春と出会ったのは文学青年ならぬ漫画少年たちの、
サークル活動に顔を出したときだった。彼はすでに、
怪奇スリラー漫画をいくつか発表して、そのブラックユーモアは評判がよかった」
(「ギャグほどステキな商売はない」赤塚不二夫・著より。但し孫引き)
★「たま」の石川さんのライブで笑って泣いて – 藤子不二雄ファンはここにいる/koikesanの日記
若かりし頃の赤塚不二夫先生はつげ義春先生と交流があったようだが、藤子A先生はつげ先生とは一度も会ったことがないそうだ。
藤子A先生は“つげ義春”についてこう言っていた。
「(つげ義春は)トキワ荘の赤塚不二夫を訪ねてきたり、新漫画党のイベントに参加したこともあるが、ぼくは話をしたことがない。でも、『李さん一家』や『ねじ式』や紀行文などは読んでいて、自分が描くものと傾向は異なるが、よい作品だと評価している。とくに『李さん一家』のラストシーンは印象的だった」
★藤子先生はトキワ荘時代につげ義春と一応会ったことがあるらしい – 藤子不二雄ファンはここにいる/koikesanの日記
藤子A先生はつげ義春先生とまったく話をしたことがないということだが、そのことに関連したつげ義春先生の証言を見つけたのでここで引用したい。
赤塚と小松川で知り合って、今度は彼がトキワ荘に住むようになって、それから自分が何度かそこへ遊びに行くようになって… そこで石森とか藤子さんとか、寺田ヒロオですか、そういう人と会ったことはあるんですけど。でも、まあこっちもね、デビューしたばっかりで名前なんかなかったし、記憶してないでしょうね彼等も。(「ガロ」1991年7月号)
つげ先生の証言によれば、トキワ荘の赤塚不二夫先生を訪問したつげ先生は、藤子先生やテラさん、石森章太郎先生と会っているということだ。つまり、藤子A先生はトキワ荘時代につげ先生と顔を合わせたことはあるが、姿を見た程度で言葉を交わしたことはない、ということなのだろう。あるいは、少しは挨拶や会話などを交わしたことがあるのだけれど、つげ先生が言っているように、藤子A先生はトキワ荘でつげ先生と言葉を交わした事実を記憶していないのかもしれない。
ちなみに、水木しげるのアシスタントになるのは、そののちのことです。
ドラマだと時間軸ずれてるかもしれないけど。
スタジオパークの赤塚不二夫の回で触れられていたのですが、
手塚治虫の教えで、いい漫画を書きたいなら、漫画ばっかり読んでないで、
一流の映画、一流の芝居を見て、とにかく外に出て見識を深めて漫画に活かせというのが
浸透してたようで、割とアクティブな人が多かったようです。
スタジオパークでも皆で野球をしてる映像とかが流れてました。
物静かな小峰くんを見てると、トキワ荘の人達とはちょっとノリが合わなかったけど、
ここは居心地いいなぁなんて思ってるのかな、とイメージが膨らんできます。
ちょっと興味深いQ&A。
★水木しげるは若い頃貧乏だったようですが、トキワ荘に住んで…: フレッシュアイQ&A
手塚治虫さんが大学在学中に漫画家デビューした年に6つ年上の水木しげるさんは戦地から日本へ帰国したそうですのでまず「若い頃」の過ごし方が違っているようですね。他の漫画家さんも手塚治虫さんにあこがれてトキワ荘に集まり、(高校時代に手塚治虫さんに呼び出されてアシスタントを始めて他の職業を希望しつつも漫画家になった石ノ森章太郎さんは別にしても)下積みで苦労してでもマンガ家になろうとしたのだと思いますがサンデー、マガジンの創刊もあって人気漫画家の取り合いになりむしろ若手漫画家にとって有利な時代でもあったのではないでしょうか。手塚治虫さんの人気が出て関係者が想定外に増えたことが一因と思われる事件がもとでマガジンから水木さんに声がかかり、40を過ぎてから人気作家の仲間入りをしたそうですので、水木さんは若い作家たちがデビュー間もなくブームを起こしている間もずっと苦労していたわけです。水木さんは長く貧乏な中で結婚し、家族も養われてます。トキワ荘の巨人たちは若く身軽なうちに人気が出たわけですし連載がなかなか取れないとしても既に人気のトキワ荘仲間の手伝いでアシスタントをやったりしてますので経済的な苦労は水木さんとは比較にならないはずです。
ドラマでも、貸本漫画から雑誌漫画への移行の大変さを物語るエピソードやセリフが結構出てましたよね~。
しげーさんはトキワ荘の人たちよりさえ年齢が一回り上なんだな~と、感慨深くなりました。
長生きしてね(><)b
つげ義春とトキワ荘仲間の作品についても興味が出てきたのですが、
ゲゲ女が終わって落ち着いてから、作品を読んだりしようかなと思っています。
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