区民限定講演会「脚本家の仕事 ~「ちむどんどん」はこうして生まれた~」を拝聴
NHK朝ドラ「ちむどんどん」放送終了後の昨年12月末に開催された
図書館主催の区民限定の羽原さんの講演会
「脚本家の仕事 ~「ちむどんどん」はこうして生まれた~」
の抽選に当たり、見に行ってきました。
実はちむどんどんは途中で(東京編前あたり)離脱してしまったのだが、
(外野のキツさで落ち着いて見れない。。と思い)
そのうちちゃんと見ようと思ってる💦
この報告書が出てからとできればちむを見てからと思ったのだけれど、
時間が経つと色々忘れてしまうので、このへんでまとめときますね。
(そのときとったメモ書きもあるはずなのだが、見つからないのでみつかったら再加筆するかも💦)
途中入場になってしまったのだが、ちょうどNHKの言葉(放送表現?)の制約の話をされていた。
細かい内容は忘れてしまったが、そんなものまで?というのも結構ありました。
占領下の沖縄で「外人」も「外国人」と言わなきゃいけないというのはちょっと厳しすぎだろ~とは思った。
あと脚本の初動について、羽原さんは戦争のこと書く気満々で、最初の打ち合わせでたくさん調べこんで資料もたくさん持っていったそうなのだが、戦争のことはあまり書かないでくださいと言われてエ~となったそうな。
本人は特に言ってなかったけれど、お母さんの回想の週は渾身の一筆だったんじゃないかなあ。
脚本制作の流れについても詳しく話してくださったが、全体の構成は最初に出さないといけなくて、最初に期間も含めて大まかな流れは決めてしまうそうです。
ちむどんどんの話で、「あまゆ」の店長役で、ちゅらさんからおなじみ沖縄言葉指導の藤木勇人さんのお名前がすごく出てきた。沖縄の撮影の色々の仲介でとてもお世話になったと感謝してました。ものすごく面倒見のいい方みたいで藤木さんへの印象爆あがり。
母親と賢秀の関係が叩かれたことについて、元々羽原さんの中に母親は息子には甘いものというイメージがあったのと、沖縄のお母さん界隈を取材してもそんな感じだったので、まさかあんなに叩かれるとは。。と恐縮していた😅
シークヮーサーの木で美術さんが作ったものがあって、クォリティがすごく高かったと感心されていた。
あと、図書館イベントなので、好きな本の紹介コーナーで、つかこうへいの「蒲田行進曲」等をあげて熱く語られていた。羽原さんはつかさんをとにかく尊敬してるみたいで、
話を聞いてても、最近特に繊細な描写が好まれる朝ドラよりも、大河みたいな男らしいダイナミックな話の方が向いてるんじゃないかとは感じた。マッサンはちょっと大河っぽいそういうとこあったからいい感じだったよね。
ちむどんどん朝ドラ界隈ではすごく叩かれてたけど、やっぱりNHKの制約がキツかったせいじゃないのかなあと思いました。もっと自由に描けてたらもっと皆に愛される作品になったのでは…とは思ってしまう。
ところで、あの日はクリスマスイブだったのだが、
今でも息子に、子どもがいるのにクリスマスに外出するなんて!と言われるので、日程はちょっと考えて欲しかった(爆)
が、朝ドラの脚本家さんの話なんて直接聞ける機会なんてめったにないので、開催に尽力されたスタッフさんに感謝します!!
客層はやっぱり年配の人が多かったね。私が一番若いくらいに見えたww
会場の外にちむどんどん関連の冊子や撮影に使われた小道具、や沖縄関連の書物、今回羽原さんが紹介された書籍が飾られてました。賢秀のスーパーハンドww
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