[ゲゲゲの女房]鬼太郎の紙芝居の謎を追え!

2014年6月15日

ゲゲゲの女房、毎日録画して楽しみに見ています。
先々週、音松さんがゲストだった回に出てきた「鬼太郎の紙芝居」について、
非常に興味が出て、ネットで調べまくってたので、ここらでまとめときます。

ドラマに登場した、残存していた紙芝居の一枚に「空手鬼太郎」と書いてあったので、
それを手掛かりに追ってみますが、情報については定かではないので、ご注意を!

まずはWikiざっと読み。

ゲゲゲの鬼太郎 – Wikipedia

1933年から1935年頃にかけて、民話の『子育て幽霊』を脚色した、伊藤正美作の富士会の『ハカバキタロー(墓場奇太郎)』という紙芝居が存在し、『黄金バット』をも凌ぐほどの人気であった。
1954年、紙芝居の貸元である阪神画劇社と紙芝居作者として契約していた水木は、同社社長・鈴木勝丸に前述のハカバキタローを題材にした作品を描くよう勧められた[1]。作者承諾の上で、水木はオリジナルの紙芝居『蛇人』『空手鬼太郎』『ガロア』『幽霊の手』の4作を仕立てた。これが鬼太郎シリーズの原点である。
だが、奇抜な展開で評判を呼んだ『空手鬼太郎』を除き、鬼太郎シリーズはそれほど人気が出ず、それ以降は製作されなかった。[2]

「空手鬼太郎」は人気のシリーズだったんですね。一度見てみたい~。

鬼太郎原案!? 子育て幽霊あらすじ

それから、鬼太郎の原案である、「子育て幽霊」のあらすじです。

子育て幽霊 – Wikipedia

ある夜、店じまいした飴屋の雨戸をたたく音がするので主人が出てみると、青白い顔をして髪をボサボサに乱した若い女が「飴を下さい」と一文銭を差し出した。主人は怪しんだが、女がいかにも悲しそうな小声で頼むので飴を売ってやった。 翌晩、また女がやってきて「飴を下さい」と一文銭を差し出す。主人はまた飴を売ってやるが、女は「どこに住んでいるのか」という主人の問いには答えず消えた。 その翌晩も翌々晩も同じように女は飴を買いに来たが、とうとう7日目の晩に「もうお金がないのです。どうかこれで飴を売ってもらえませんか」と女物の羽織を差し出した。主人は女を気の毒に思っていたので、羽織と引き換えに飴を渡してやった。 翌日、女が置いていった羽織を店先に干しておくと、通りがかりのお大尽が店に入ってきて「この羽織は、先日亡くなった自分の娘の棺桶に入れてやったものだ。これをどこで手に入れたのか」と聞くので、驚いた主人は女が飴を買いにきたいきさつを話した。 お大尽も大いに驚き主人ともども娘を葬った墓地へ行くと、新しい土饅頭の中から赤ん坊の泣き声が聞こえた。掘り起こしてみると、娘の亡骸が生まれたばかりの男の赤ん坊を抱いており、手には飴屋が売ってやった飴が握られていたという。 お大尽は「臨月に亡くなった娘をお腹の子供も死んでしまったと思い込んでそのまま葬ったのだったが、娘は死骸のまま出産し子供を育てるために幽霊となって飴を買いに来たのだろう」と言った。赤ん坊を墓穴から救い出し、「この子供はお前のかわりに必ず立派に育てるからな」と話しかけると、それまで天を仰いでいた亡骸は頷くように頭をがっくりと落とした。この子供は後に菩提寺に引き取られて高徳の名僧になったという。

ほんとの鬼太郎のお父さん!? 伊藤正美

こちらのブログに、元々鬼太郎というキャラクターを考えたのは
戦前の伊藤正美という紙芝居作家との記述がありました。

墓場の鬼太郎

けど、鬼太郎というキャラクターを考えたのは伊藤正美という紙芝居作家です。
鬼太郎は漫画キャラでなく、黄金バットと同様に紙芝居キャラとして誕生しました。
時は昭和8年(1933年)ドイツでナチスが誕生した年です。

だから鬼太郎は「サザエさん」よりも古く、
「冒険ダン吉」とか「のらくろ」とかと同じ時期に生まれでてきたのです。

鬼太郎のモチーフは江戸時代の民話「飴売り幽霊」だそうです。
死んで土葬されてから子供を産んだ母親が、幽霊になって夜な夜な飴屋で飴を買い、
それを自分の子供になめさせて育てた・・・という民話です。
その幽霊に育てられた墓場の赤ん坊を主人公にしたというワケです。

その伊藤正美の「ハカバキタロー」を戦後紙芝居作家になった水木しげるが描く様になって、
それがそのまま水木しげるのキャラになっていきました。
何しろ当時は著作権ウンヌンはおおらかでしたし、
だいいち伊藤本人が水木以外にも「鬼太郎」の紙芝居を描かせていたそうですから。
だから”原作者承諾ズミ”で鬼太郎は水木に継承されていった形になったのです。

また漫画を描くにあたり、伊藤氏にちゃんと承諾は得ていたようです。

Kenの漫画読み日記。漫画・・ 「墓場鬼太郎」

戦地から引き揚げて来て、荒廃した戦後の内地で、食べる為にいろいろな仕事をして凌いだ水木氏は、召集前から画家を目指していたこともあって絵心があり、紙芝居の仕事も行います。紙芝居の人気作品「ハカバキタロー」を手掛けたことから、作者の伊藤正美氏に断りを入れて、貸本漫画の世界に移った後、水木しげる先生オリジナルの「墓場鬼太郎」を制作した。という訳なんですね。1959年、貸本漫画単行本の怪奇アンソロジー誌「妖奇伝」に、墓場鬼太郎ものの第1作、「幽霊一家」が発表されます。ここに、後の、国民的ヒーロー、ゲゲゲの鬼太郎の原型が誕生した訳です。

辰巳恵洋『猫三味線』と猫娘

ところで、戦前の「ハカバキタロー」の紙芝居は
原作はその伊藤氏ですが、もちろん作画の方も別にいて、
辰巳恵洋(ケイ・タジミ)という方だったそうです。
この方は、猫三味線という話も書いているのですが、
そこに出てくる猫娘が、鬼太郎の猫娘と似ているそうです。
関係性を考えると、ちょっとおもしろいですねー。

猫娘考 -猫三味線とゲゲゲの鬼太郎の間-

それで、寝子ちゃんの猫化後や、猫娘の顔を見ていて「この顔どっかで見たな……」と思いました。 そうです。 「幽」の猫特集号の猫三味線の記事です。
「猫三味線」は、猫が主人を殺し、自分を殺して三味線にした浪人に復讐するため、その男の娘として、生まれかわり、復讐するという物語です。
下の画像を見て「そんなに似ていないんじゃ?」とか「偶然だろう」と思った方もいらっしゃるでしょう。これは普段の顔で、猫化して、魚にかぶりつくと、もうちょっと水木先生の猫娘に似るんですよ。

「猫三味線」の猫娘と水木先生の猫娘には、共通する特徴があります。
眉毛がないのです。時代が変わって、猫娘にも眉毛がつきましたが、ケイ・タジミさんの猫娘と水木先生の初期の猫娘には、眉毛がありません。猫には眉毛がないので、猫らしくするために、「猫三味線」の作画者はあえて描かなかったのです。たぶん、水木先生もそのつもりで、眉毛を省いたのでしょう。
いまでこそ、ドラゴンボールのピッコロさんとか、キン肉マンの超人とか、「人間に似ているが、人間でないもの」を表現する手段として、眉毛を描かないのは、当然の手法ですが、「猫三味線」の戦前には珍しかったでしょう。

最初はわたしも似ているのは、気のせいかと思ったのですが、この「猫三味線」という紙芝居の作者こそが、戦前の「ハカバキタロー」という紙芝居の作画者なんですよ。
ケイ・タジミという方です。
水木しげる先生は紙芝居作家だったある日、阪神画劇者の鈴木勝丸さんと売れっ子紙芝居作家の加太こうじさんから、戦前の紙芝居の話を聞きました。そして鈴木勝丸さんが、水木先生に「ハカバキタローを元に描いちゃえば」と勧め、紙芝居として「空手鬼太郎」が誕生します。やがて鬼太郎は「墓場鬼太郎」「ゲゲゲの鬼太郎」と名前を変えてゆくのです。参考「水木サンの幸福論」
つまり、鬼太郎だけでなく、猫娘も、ケイ・タジミさんの紙芝居が遠いルーツなのではないでしょうか。

猫三味線 [DVD] カスタマーレビュー

紙芝居といえば、「ゆるい」「つじつまが合わない」のがいいところ…だが、この作品は別格だ。その完成度はまさに奇跡、街頭紙芝居きっての珠玉の名品としか言いようがない。
 絵を描いたのは、かの水木しげるの『ゲゲゲの鬼太郎』の原案になったとされる戦前の紙芝居『ハカバキタロー』を描いた辰巳恵洋こと、ケイ・タジミ。

貸本『猫三味線』しきはるみ

20120224追記分
ちょっと本題からそれますが、
猫三味線の貸本も探索中見つけました。
「しきはるみ」という女性の方が描いてます。
少女漫画ちっくな絵柄です。
このページの下段右から2番目です。

くだん書房では、かなり高価買取してますよ。(´∀`)ウフフ

伊藤正美と辰巳恵洋が産み出した『ハカバキタロー』

(2014.3.30)
この項の引用文章につきまして、文中の伊藤正美氏の甥である五島様から訂正コメントを頂きました。
合わせて読んで頂ければ幸いです。

私は伊藤正美の甥の五島と申します。
伊藤正美のご紹介有りがとうございます。
一部訂正をお願いしたいところがございますので確認の上、宜しくお願い申し上げます。
まず、富士会は大阪での商標で代表は五島明、東京の画劇文化社の社主は五島金之輔(私の父・伊藤正美の義兄)。加太さんの紙芝居昭和史、水木しげる全集?等に伊藤正美や父の名が掲載されていました。
鬼太郎が現在こんなに売れて伊藤も喜んでいることと思います。感謝です。
加太さんが社会福祉大学の講師(教授)になられてから一度お会いし、お話を伺いました伊藤とはよく飲みに出かけたそうです。多いに文化を語ったのだと思います。辰巳さんは私が小学校の頃紙芝居の原画を持って年中実家に見えておりました。
紙芝居組合の会議資料を多少持っておりますが紙芝居文化にご興味のある方がいらしたら目を通していただきたく思っております。

伊藤正美と辰巳恵洋(ケイ・タジミ)については以下に詳しく。

『墓場奇太郎』原作者・伊藤正美、戦前の紙芝居

戦前、街頭紙芝居の「墓場奇太郎」を生み出した、戦前は、富士会、戦後は、画劇文化社・社主の伊藤正美。街頭紙芝居作家の大物の一人。
先日、戦前の印刷紙芝居だが、1種入手できた。画家は、戦後、絵物語等も手掛け、紙芝居画家としては有名な田中潮が担当している。伊藤正美もわりと、戦前、印刷紙芝居も多く、「墓場奇太郎」の画家の辰巳恵洋とのコンビの印刷紙芝居もあり、わかっているものは全種入手しているが、今回の物は新発見のものである。本当は、戦前、戦後の肉筆の街頭紙芝居が欲しいのだが、戦前のものはおそらく現存していないであろう。戦後のものだと、辰巳恵洋とのコンビの肉筆の街頭紙芝居と、他にも何巻かは所有しているが、まだまだ欲しいですね!

『ハカバキタロー』は正しくは、「ハカバ奇太郎」
「空手鬼太郎」は正しくは、「空手家鬼太郎」ですね。
目玉の親父は、漫画とは違って、かわいらしい登場の仕方みたいだったですね。

鬼太郎 ~水木作品といえば、これですね~

戦前に関東で人気があった『ハカバキタロー』(原作:伊藤正美、作画:辰巳恵洋)(注:ハカバ奇太郎と表記する説もあり)という紙芝居を、
当時の紙芝居元締めだった鈴木勝丸氏が水木氏に紹介し、それを元に’54年~’55年の間に
『蛇人』『空手家鬼太郎』『ガロア』『幽霊の手』の4作品(紙芝居)を作りました。
この4作品の主人公が「墓場鬼太郎」でした。しかしこのときの鬼太郎は、ただの不幸な環境に生まれた子供でした。
この時、水木氏は実際の「キタロー」像を見ていなかったので、自身オリジナルの「鬼太郎」像を作りました。
 その顔は、貸し本時代作品にみられる鬼太郎と良く似ていたようです。
 ちなみに…「目玉親父」は、『空手家鬼太郎』で初めて登場してきます。
ただ、その後の「目玉親父」のように死んだ父親の目玉がドロっと出てきたわけではなく、
ポケットの中からひょっこり現れるという登場の仕方でした。

音松さんは、鈴木勝丸さんか加太こうじさんがモデルなのかしら??

水木しげるの自伝は他と違う

このころ紙芝居で鬼太郎が誕生します。以前東京で伊藤正美の「ハカバキタロー」が流行したことがあった。水木しげるは鈴木勝丸と加太こうじにすすめられて似たものを描くことに。「墓場鬼太郎」を始めたが因果ものでウケない。「空手鬼太郎」(全100巻)は沖縄で空手をやる話で少し評判に。このとき鬼太郎の目玉親父が登場。SF風「墓場鬼太郎 ガロア編」40巻。「幽霊の手」が90巻。鬼太郎がチャンチャンコを着て超能力を持ち、後年のものに近くなって100巻。最後の「小人横綱」はウケたが未完。紙芝居が壊滅状態になったためです。

紙芝居「ハカバキタロー」の小説本も現存するようです。
確かにコレクターにはたまらないしろものかも。

雑記 ーー ビンボウ・コレクターの独り言

2005年1月7日
今年もよろしくお願いします。
前回の雑記でどうしても欲しい本は抽選に当たったようで、運良く入手することができました。譲っていただいた古書店には感謝であります。
ものは何かというと、だいたい古書マニアであれば察しがついたとおもいますが、水木しげるさんの「墓場鬼太郎」の元祖、戦前の紙芝居「ハカバキタロー」の小説本です。まあご存知の方はあれを買った馬鹿はあなたですかと笑い声が聞こえてきそうですが、そうその馬鹿は私のことなんです。まあなんとも煮え切らないところもありますが、とりあえず、私は絵物語と街頭紙芝居とに非常に関心が高いので、どうしてもこの本は欲しかった! いったい、本当の「ハカバキタロー」とはどういうものだったのか? どのような物語だったのか? その謎の一端が垣間見れる唯一のものなので、私のように、水木さんの「墓場鬼太郎」、竹内寛行の「墓場鬼太郎」と長年追いかけてきたものにとっては、まさに夢のような話です。実際、戦前の「ハカバキタロー」の紙芝居は一枚も残っていません。加太こうじさんの「紙芝居昭和史」に掲載されたキタローの紙芝居は、加太さんが描いた複製で、本物ではありません。現存が確認されているのは、この本だけなので色々としょうがないですね。何故か喜びよりも泣けてしまいますが。内容はというと、もう期待以上のもので、殺人鬼・魔童奇太郎の世にもグロテスクな物語でした!

まー、ネットの情報なので、真相があやふやなとこもありますが、
ドラマを見ながら、色々想像して楽しんでみるのもまた一興です。

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これのアンサーによると、テレビでこれの特集もやってたくさいですね。
黄金バット – Yahoo!知恵袋

ゲゲゲの鬼太郎 68 – メタボの気まぐれ

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